イタリアの古文書や史料となっている古い写真を見ると、非常な頻度で麻が登場します。とくに白黒の古い写真を見ると、かつてのイタリア半島ではいたるところで麻が栽培されていたことが一目瞭然なのです。イタリアはかつて、良質な麻の生産地として大いに名をはせていた歴史を持ちます。
麻は、どんな経緯でイタリアに到達し発展していったのでしょうか。
歴史家ヘロドトスも触れた麻の文化
麻とは、いったいいつごろ人類とかかわるようになったのでしょうか。
現在の研究では、麻の栽培が始まったのは紀元前7世紀頃といわれています。麻がヨーロッパに到達したのは、ユーラシア大陸の遊牧民族スキタイの人々の存在がありました。ギリシア人と商業面における交流があったスキタイ人の麻の文化については、歴史の父と呼ばれるヘロドトスが記述を残しています。彼らは、麻を巧妙に使って蒸し風呂を楽しんでいたと書かれているのです。実際、2016年には古代スキタイ人の墓から麻が発見されて話題になりました。この墓は実に、2500年以上前のものとされています。
2500年以上も前にヨーロッパ大陸にもたらされた麻
原産地であるアジア地方からヨーロッパに、麻がもたらされたのはいつごろでしょうか。その正確な年代は不明です。
しかし、ベルリンで発見された古代の壺から麻の種と葉が発見された事実を鑑み、少なくとも紀元前500年にはヨーロッパにおいて麻が栽培されていたことが通説となっています。その後、何世紀にもわたって麻はヨーロッパの人たちの生活を支えてきました。とくに、庶民層の仕事着の多くは、麻か原毛であったことがわかっています。王侯貴族とは異なり、庶民の姿は絵画などに残ることはまれですが、それでも14世紀に活躍したシエナの画家アンブロージョ・ロレンツェッティのフレスコ画には、麻を身に着けている農民たちの姿を見ることができます。また、紙も麻で作られることが多かったようです。
また、16世紀の人文学者フランソワ・ラブレーによれば、麻はアフリカ大陸では繊維として、あるいは薬草として使用されていたとも記述されています。
イタリアの海洋国家と麻の関係
イタリアにおける麻の流通は、地中海を縦横無尽に往来した海洋国家と強いつながりがあります。現在も、イタリア海軍の旗にはアマルフィ、ピサ、ジェノヴァ、ヴェネツィアという栄華を誇った4つの海洋国家のシンボルが描かれています。これらの海洋国家が擁する船を支えたのが、麻でした。つまり、船に使用する帆、帆綱などの索具などは、すべて麻から作られていたのです。
強力な海軍を有していたイタリア半島の都市国家では需要が高く、そのため中世において麻はこれらの国を相手の一大ビジネスであったのです。
麻は栽培が容易で、特に砂地や平野で品質の良いものが生産されたといわれています。一般的に農作物の栽培が難しいといわれた地でも麻の栽培は可能であったため、土壌に恵まれない場所に住む人々にとっては生活の資でもありました。
とくに、北イタリアはポー川流域にあるボローニャやフェッラーラは、高品質の麻の生産地として有名でした。17世紀にボローニャで活躍した農学者ヴィンツェンツォ・タナーラは、麻の栽培法について詳細な記述を残しています。
その後、イタリア製の麻の高名を伝え聞いた英国の船団が、こぞってメイド・イン・イタリーの麻を購入し始めました。マストの帆、綱、地図の紙まで、イタリアで栽培し加工した麻を使用していたという記録も残ります。ともすれば命にもかかわる航海において、イタリア製の麻は海の男たちに大いに信頼されていた証拠といえるでしょう。
1000ヘクタールを超えていた麻の栽培地
このような理由から、1700年代にはイタリアは一時期世界で2番目の麻の生産地に躍り出ています。イタリア半島における海洋国家が次々と没落した後も、イギリスの海軍が顧客となったため需要も供給も安定していたためです。イタリア半島には、最大で1000ヘクタールに及ぶ麻の栽培地があったといわれています。前述したボローニャやフェッラーラ以外にも、海港ジェノヴァを抱えるリグーリア州、トスカーナ州、ウンブリア州、シチリア島でも、麻は大量に栽培されていたのです。
近代における麻の栽培の変遷
しかしその後、イタリアの麻の大供給先であった英国海軍も、石炭船へと移行していきます。また、英国によるインドの植民地化によって、綿の需要と供給が飛躍的に伸びました。北米南部でも、さかんに綿が栽培されるようになり、麻はその重要性を徐々に失っていきます。それでもまだ1930年頃まで、イタリア半島では麻は貴重なマテリアルとして評価されていました。
転換期は、第一次世界大戦後でした。
石油を原料とするプラスチックや、木材を使用した紙の生産が急増しはじめると、麻の栽培は急激に低下します。船で使われていた麻製の索具も、合成物質のロープへと代わっていきました。とはいえ、物資が不足した第二次世界大戦中は、麻の繊維や油が珍重されて、一時的に麻の栽培が急増したことも記録されています。
「マリファナ」と呼ばれるようになった麻
便利で安価な代替品が登場し麻の重要度が落ちるとともに、麻は「マリファナ」と呼ばれるようになります。
1937年に、アメリカにおいて麻は産業や医療の目的以外での使用を禁止されました。この影響は全世界に及び、イタリア半島のあちこちで見られた麻も根こそぎ廃棄されてしまったのです。
数世紀にわたり人々の生活を支えた麻の文化は、過去の遺産として古文書や写真にその姿をとどめるのみとなっています。
まとめ
イタリアでも栽培され、歴史的に付き合いの長がった麻も第1次世界大戦や、第2次世界大戦後に急激に衰退してしまいます。これは石油資源から製造することができる合成繊維の普及が大きく関係しています。この時代から安価で大量に生産できる合成繊維が生産され麻の需要は衰退しています。また現代では、それらの合成繊維がマイクロプラスチックと呼ばれ家庭を通じ海に流れ環境問題に発展しており深刻な状況となっています。様々な地球環境が問題となっている現代では成長する際に大量の2酸化炭素を吸収し、耐久性もあり、様々な用途に利用でき、更に自然に還るという麻の利点から、合成繊維と比較して自然由来で環境に悪影響を与えないものとして注目されています。
大量生産、大量消費が原因で衰退した麻は、第一次世界大戦から100年以上経った現在、
大量生産、大量消費の影響で起こる様々な環境問題を解決する植物、原料(マテリアル)として注目されています。
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引用元
https://www.cbdmania.it/la-storia-della-canapa
https://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/16/c/100600012/
『Medioevo』2013年10月号 P.57-67
Abiti da lavoro Sandra Baragli著
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