【麻の復権⁈】世界の麻の歴史

 人類は、洋の東西を問わず、大昔から、麻とは良好な関係を築いてきました。麻の有用性に早くから気づいた人類は、麻の恩恵に浴してきたと言っていいでしょう。
 繊維として、穀物として、または、実から油を採り、あるいは、薬として、麻酔薬として、さまざまに活用してきました。
 この記事では、麻と人類の関係の始まりから、二十一世紀の現代までの麻の歴史を辿ります。世界の各地で、時代時代に即して、どのように麻が利用、活用されてきたかをご説明します。
 麻の活用の歴史は、ある意味、人類史の一側面だと言えるでしょう。奥深い麻の歴史を紐解きましょう。

始まりは、一万年以上前!

 麻は、中央アジア原産の一年生植物です。人類が、繊維を得るために栽培した最も古い植物の一つといわれています。
 その歴史は、紀元前8000年に、チグリス・ユーフラテス川流域で栄えた文明にまで遡ります。当時、麻が植えられ、利用されていたことが証明されています。麻と人類のかかわりは、一万年以上前からというのが、歴史学者の間の定説でした。
 ところが、トルコの北、黒海とカスピ海に挟まれたグルジアにある洞穴から、約三万年前の亜麻糸の断片が発見されました。一万年どころか、三万年も前から、人類は、麻を利用してきたというのです。人類と麻の関係の始まりは、三万年前にまで、遡るかもしれません。
 さらに、時代が進むと、エジプトのピラミッド内部の壁画には、亜麻を収穫する風景が描かれていますし、ミイラを包む布は、麻布でした。
 また、聖書には、亜麻布のことが、ひんぱんに登場します。
 そして、麻の栽培は、ヨーロッパ各地に広がります。ベルギーやオランダでも、紀元前5000年ころの亜麻の種や、紀元前800年ころの世界最古の糸巻きがベルギーで見つかっています。
 ローマ時代の書物に、「ベルギーでは、リネンの服を人々がまとっていた」という記述もあるようです。
 このように、人類と麻とのかかわりは、一万年、ひょっとしたら三万年以上前から始まり、どんどん広がっていきました。古代の人々は、広範な場所で、麻を大いに利用し始めました。

中世には、産業としての麻織物

(嫁入り道具としてリネン製品を持って行く風習があった)

 さらに、時代が進むと、中部ヨーロッパでは、リネンの織物が流通し、麻産業として栄え始めます。
 昔、純白のリネンは、上流階級だけのものであったのが、こうして、だんだん一般の人々にとっても身近なものとなっていきました。
 今、アンティークリネンとしてもてはやされているものは、当時、花嫁道具として、花嫁と一緒に嫁入をしたリネンが、大切に使われ、使いきれずに残ったリネンが、現代にまで受け継がれたものです。
 リネンをお嫁入り道具とするため、女の子が生まれた家庭では、お嫁入りに備えて、少しずつリネンをためていくという風習があった国もあります。母が娘に、心をこめて、刺繍したアンティークリネンは、今なお、私たちを感動させます。
 そうしてヨーロッパ中に広がった麻織物の技術によって、フランス、オランダ、ベルギーにまたがるフランダース地方が、リネン産業の中心となります。有名な「フランダースの犬」の舞台は、まさにこのフランダース地方です。

麻織物と産業革命

 18世紀のイギリスでは、リネンが多く生産されるようになり、一般の人までたやすく入手できる、ありふれた素材となりました。上流階級の人だけに独占されてきた上質のリネンを、多くの人が享受できるようになりました。
 18世紀半ばにイギリスで始まった産業革命は、それまでの産業にも、その後の産業にも、そして、世界のあり方さえも大きく変容させた大きなインパクトを持つものでした。
 産業革命が起こるまでのイギリスは、毛織物業と麻織物業が盛んでした。インドから綿花、綿糸が入ってきて、人気を博したのを受けて、綿糸生産、綿織物生産を機械化、工業化したのが、産業革命でした。
 そのことによって、イギリスの麻織物産業は、大打撃を受け、駆逐されていきます。ただ、イギリスにおける麻織物業で、工業化に成功したのは、アルスターのみという有様でした。
 その後、イギリスの隣国、アイルランドでは、アイルランド産の亜麻(フラックス)を使った上質なリネンが生産されるようになりました。アイリッシュリネンは、リネンの最高峰との誉れ高く、ファンが多いです。

麻織物の衰退

 麻織物が大量に生産され、一般の人も、たやすく手に入れることができるようになった一方で、麻織物産業が、いろいろな理由で衰退の一途をたどることになります。
 さまざまな理由が複合的に絡まっているのですが、考えられる理由は、

  • 他の織物業に比べて、産業革命時の機械化に立ち遅れた
  • 合成繊維の出現
  • 麻素材のデメリット
  • 各国での大麻栽培の禁止

などが挙げられます。
 第二次世界大戦後、ポーランド、ハンガリー、ルーマニアなどの東ヨーロッパでは、大麻栽培は続けられましたが、ドイツ、イギリス、オランダ、オーストリアなど西ヨーロッパでは、フランスを除き、一時的に大麻の栽培が禁止されました。1960年代には、麻の栽培は廃れる一方でした。
 その後、イタリア、フランスなどでは、麻織物の生産が難しくなり、南アフリカ、チュニジア、リトアニアなどに、生産拠点が移っていきました。
 今では、麻織物の利点と考えられることも、当時は、新しく出現した合成繊維などに比べて、デメリットとして考えられたことも大きな原因かもしれません。麻布がシワになりやすい点などが嫌われたようです。今では、それも麻の魅力と考える人が多いですが、これも、時代の流れというものでしょうか?
 しばらくは、麻産業の受難の時代が続きました。

麻の復権

 第二次世界大戦後は、他の天然素材の布と同じように、麻布も衰退の一途をたどりました。特に、麻の場合は、大麻禁止という文脈との関係もありました。
 今では、麻の魅力と考えられることが、合成繊維などに比べて、デメリットとして考えられてしまいました。
 ところが、1990年代に入って、環境問題、健康問題を背景として、1993年にイギリス、1994年にオランダ、1996年にドイツ、オーストリアで、1997年にカナダで、大麻栽培が再開されました。さまざまな栽培条件付きであるにせよ、その後の麻の復権のためのはずみになりました。
 麻が見直されたのには、麻が持っているたくさんの長所によるところが大きいです。

  • 繊維が強い。特に、水に濡れると、強度が69%アップする。
  • 天然繊維の中では、熱伝導性が高く、涼しい。接触冷感、さわやか。
  • 通気性に優れる。
  • 水分の吸湿、発散性に優れる。
  • 生分解性に優れる。環境適応のエコロジー繊維。
  • 成長が速い。
  • 害虫に強いため、農薬が不要、または少なくて済む。

 麻は、古くから、人類とともにありましたが、科学万能の21世紀の現代、地球規模のさまざまな問題に対応できる素材として、脚光を浴びています。
「地球にやさしい」「人類にやさしい」麻は、その価値が見直され、また、科学技術の進歩でさらに使いやすく、役立つことが期待できます。

まとめ

 世界中で、大昔から利用されてきた麻の歴史を振り返りました。この記事では、繊維としての麻を中心に説明してきましたが、麻には、繊維として以外にも、さまざまな用途があります。ますます、麻の活用が期待されます。

引用元

https://hokkaido-hemp.net/foreign.html
https://hokkaido-hemp.net/foreign.html
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%94%A3%E6%A5%AD%E9%9D%A9%E5%91%BD
https://www.teramoto.co.jp/columns/8651/
http://www.asaban.jp/asa.htm
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%82%B5
https://www.teramoto.co.jp/columns/8651/

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