暑い夏にも、汗一つかかず、涼しげに麻のスーツをパリッと着こなして、高級レストランに出かけます。そこでは、シミ一つないリネンのテーブルクロスがお出迎え!美味しく冷えたシャンパンを楽しんだ後は、高級ホテルのリネンのシーツに癒されましょうか?
そんな夢のような麻のある暮らしに憧れますが、実は、人類は、大昔から、麻とはとても仲良しで、大いに活用してきました。
人類と麻との付き合いは、一万年以上!
麻は、中央アジア原産の一年生植物です。人類が、繊維を得るために栽培した最も古い植物の一つといわれています。
麻の種類には、大麻、マニラ麻、サイザル麻、黄麻(ジュート)、亜麻(リネン)、苧麻(カラムシ)があります。
今も昔も、人気の麻の一つにリネンがありますが、リネンとは、亜麻から採った繊維から作った糸や布のことをいいます。
その歴史は、紀元前8000年に、チグリス・ユーフラテス川流域で栄えた文明にまで遡ります。当時、麻が植えられ、利用されていたことが証明されています。
麻と人類のかかわりは、一万年以上前からというのが、歴史学者の間の定説でした。
ところが、2009年に発表された論文によると、トルコの北、黒海とカスピ海に挟まれたグルジアにある洞穴から、約三万年前の亜麻糸の断片が発見されたとのことです。一万年どころか、三万年も前から、麻との付き合いがあったとは!!
三万年前といえば、後期石器時代ですから、農耕も始まっていない時代の亜麻糸の断片とは、すごいことです。そもそも、三万年前の亜麻糸が残っていることも驚きです。
人類は、それ以来、営々と麻とのかかわりを続けてきたことになります。気の遠くなるような年月です。
人類は、繊維や穀物(実)のために、麻を栽培した!
人類は、麻の繊維を採って、糸や布を作るだけでなく、実を穀物として食べるために、一万年以上前から、中央アジアで栽培を始めました。
最近、美容や健康に意識高い系の人たちの間で話題のスーパーフード、ヘンプシードとは、麻の実のことです。いろいろなレシピが紹介されていますから、名前は聞かれたことがあるかもしれません。また、昔から、七味唐辛子には、麻の実が入っています。探してみてください。
人類が、採集ではなく、植物を栽培し始めた頃より、麻を利用するために、麻の栽培が行われていました。そして、中央アジアから、麻の栽培は、急速に、広範に広がりました。麻は、それ以来ずっと、人類の傍らにいてくれました。
麻の栽培には、繊維や麻の実を採る以外にも、実から油を採る、薬とする、麻酔薬とするという栽培目的があります。その栽培目的によって、麻も変化していきました。例えば、繊維を採るための麻は、草丈が高いものになりました。
麻という植物は、人類にとって、とても有用な植物です。一万年前も、そして、二十一世紀の現代も、その有用性は変わりません。
エジプト王の墓の壁画やミイラに見られる麻とのかかわり!
エジプトのピラミッドの始まりとされるピラミッドは、紀元前2630年ごろに建造されています。その後、代表的な巨大ピラミッドは、紀元前2500年ごろに、どんどん作られていきました。
そんなピラミッド内部の壁画は、今なお、現代の私たちにはわからない謎に満ちています。しかし、壁画に書かれているものについての研究が進むにつれ、当時のエジプト人の生活習慣や死生観などが描かれていることがわかってきました。
その一つが、麻の栽培風景です。特に、亜麻の収穫風景が描かれている壁画は、その当時の暮らしの中で、麻の栽培が行われていたことを示しています。
さらに、ピラミッドといえば、ミイラですが、ミイラを包んでいる布は、麻布です。
映画などで、ミイラが起き上がって、身体にまかれた麻布がほどける、おどろおどろしいシーンがあります。もちろん、実際には、そんなことはあり得ませんが、ミイラの包布が麻布だということをよく表しています。
もともと、当時の古代エジプトでは、砂漠に遺体を屈曲させて、布で包んで埋葬する習慣があり、急速に乾燥し、ミイラとなりました。その後、ミイラづくりの技術がすすみ、樹脂を浸したリネン布で遺体の全身を覆うようになりました。
さらに、聖書の中にも、亜麻布はたびたび登場します。このように、古代の人たちにとって、麻布は、暮らしに切り離せないものだったようです。
縄文遺跡からわかる、日本人の麻利用!
さて、この章では、日本人と麻との出会いについて、ご説明しましょう。
日本でも古代から、繊維として麻が大いに利用されてきたのは、外国と同じです。わが国では、特に大麻と苧麻(ちょま)が利用されてきました。ラミーと呼ばれる苧麻は、イラクサ科に属する多年生の植物で、古くから「カラムシ」と呼ばれています。現代では、カラムシが道端などに群生しているのをよく見かけます。
さて、縄文時代の遺跡から、麻が出土していることから、縄文時代初期には、日本の各地で、麻が生育していたことがわかります。さらに、それらを使用していたことも、出土物が示しています。
特に、福井県三方町にある鳥浜貝塚遺跡からは、麻の縄が出土しています。この遺跡は、約一万年前と考えられていますので、その頃の日本人は、すでに麻を利用していたことがわかります。
さらに、有名な登呂遺跡からは、麻布の断片が出土しています。登呂遺跡は、弥生時代の集落・水田遺跡で、一世紀ごろのものです。
このように、日本人も、世界の人たち同様、古くから、麻とは深く関わって暮らしてきました。そして、今なお、その深い関係は続いています。
クレオパトラもリネンのシーツに横たわっていた!
暑い夏の夜、パリっとアイロンのかかったリネンのシーツに横たわるのは、とっても贅沢なひとときです。
触れた時に感じる冷たさ、冷感は、麻素材の大きなメリットです。麻のそんなところが好きという麻ファン、リネン好きが多いと思います。
クレオパトラとは、本来、一人の女性を指す言葉ではなく、古代ギリシャと古代エジプトプトレマイオス朝の女性王族の呼び名で、何代にもわたって使われました。中でも、最後の女王クレオパトラ七世が有名です。
一般的に、クレオパトラとされているのは、クレオパトラ七世のことになります。クレオパトラといえば、絶世の美女として名高いですが、贅沢三昧のエピソードも事欠きません。
有名なエピソードに、一国の領地を買えるほどの価値のある真珠を酢に溶かして飲んだとか、毎夜、牛乳風呂にはいっていたとか、バラの花びらを一面に浮かべたお風呂に入り、寝室にはパラの花を敷き詰めたとか、枚挙にいとめがありません。
そんなエキゾチックで、絶大な権力をもつクレオパトラが愛したのは、純白のリネンだったと言います。情熱的な夜を過ごし、火照る身体を、ひんやりとしたリネンのシーツで冷やしたのではと考えるのは、歴史のロマンです。
まとめ
人類が、麻に出会い、麻を植え、麻を利用してきたその始まりの部分をご説明しました。チグリス・ユーフラテス地域、エジプト、ローマ、そして遠く離れた日本でも、同じように麻を大いに活用してきました。
そんな大昔から、そして科学万能の二十一世紀の現代においても、麻は、変わらず、人類の傍らで、役立ってくれています。
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引用元
http://shinanoya-lifestyle.com/unchiku/2015-07.html
http://www.asahi.com/ad/furozuki/beauty/20150603_01.html
http://ktymtskz.my.coocan.jp/S/cemicak/chemi3.htm
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AF%E3%83%AC%E3%82%AA%E3%83%91%E3%83%88%E3%83%A9_(%E6%9B%96%E6%98%A7%E3%81%95%E5%9B%9E%E9%81%BF)
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